時の将軍、大名・公家・高僧・豪商、あの伊達政宗、本阿弥光悦まで学んだ古田織部の茶の湯 茶道古田織部流 正伝会/古田織部流茶湯研究会
上段の間

茶道古田織部流とは

 流祖 古田織部助重然    会長 宮下帯刀玄覇

お知らせ

・2023年2月25日(土)に予定しておりました福岡 崇福寺での「黒田長政400年遠忌追善茶会」は、新型コロナウイルス感染状況等を踏まえ、中止となりました。

・当会会長編の「古田織部カレンダー 令和5(2023)年版」を発売中です。
 (クリックすると発売元の宮帯出版社商品ページが開きます)

・当会会長がプロデューサー、共同監督、脚本他を務めた映画『信虎』(若き古田織部も登場)が、TOHOシネマズ甲府で2021年10月22日(金)より先行公開されました。
11月12日(金)から全国ロードショーが始まります。詳しくは映画公式サイトをご覧ください。

・「ふなっしーオフィシャルサイト 274ch.」にて、当会会長がふなっしーさんに茶道指導をいたしました。

・映画「嘘八百 京町ロワイヤル」(2020年1月31日より上映、DVD・Blu-ray発売中)にて茶道監修、
 広末涼子・加藤雅也 両氏に古田織部流の茶道指導いたしました。


古田織部流 茶道教室

古田織部流 点前座(広間 炉 袋棚 薄茶)

~400年前、天下人に愛好された手前(てまえ)を体験してみませんか?~

 古田織部の茶の湯は、豊臣秀吉・秀頼の伏見城・大坂城、徳川家康・秀忠の江戸城・駿府城などで行われたもので、格調高い武家茶道です。当時「ヘウケモノ」【注1】と言われた織部茶碗、力強い伊賀焼や備前焼の花入・水指類、織部焼の会席具等を用いる流派です。点前については、薄茶は(真行草のうち)「草」【注2】になるため、道具や手前は簡略になります。また、お茶を点(た)てる時は(山盛り)一杓しか掬わず【注3】、左手の添手をせず【注4】、片手で横振りする【注5】という桃山時代の古い形式です。

【注1】慶長4年(1599)2月28日、博多の豪商・神屋宗湛が、毛利秀元(輝元の養子)、小早川秀包(小早川隆景の養子)に連なって織部の茶会に招かれた時、歪(ゆが)んだ織部茶碗が用いられた。宗湛は、「セト(瀬戸)茶碗、ヒツミ(歪み)候也(なり)。ヘウケモノ(剽げ物)也(なり)」と驚きの様子を日記(『宗湛日記』)に記している。
【注2】『草人木』に「利休 答ていはく、(中略)薄茶ハ草也」とある。
【注3】『古織伝』に「(茶碗)大小にかまはず、薄茶ハ 一すくひか」、『古田織部正殿聞書』に「薄茶 多一杓入、立ルもの也。若、茶 少ク掛リ候ハゝ、二杓 三杓も すくひ 入事有共、是ハ必悪シ、」とある。
【注4】『古田織部正殿聞書』に「左之手 茶碗に添て不可立、片手ニて振立ル也」とある。
【注5】『古田織部正殿聞書』に「手のかう右へなし、指先 左へ不成様ニ持て、横へ斗ふりて立候也」とある。


 「古田織部流」は織部の死後も将軍秀忠や大名・公家衆・豪商・職人たちから愛好され、全国各地に伝えらました。福岡藩の茶道(頭)から豊後岡藩(現 竹田市)の家老家に伝わったものが唯一現在まで存続していますが、流祖の一部の所作、手順とは違ったものになってしまいました。当会では、織部の茶会記や桃山~江戸時代前期の茶書を調査・解読し、織部の手前や、織部好みの道具やその道具組を研究してきました。皆様にお教えするのは、こうした研究に基づいて修正したもので、全国でも当教室が唯一です。

織部好みの道具を用いて、400年前に将軍や戦国武将たちが行っていた茶の湯(茶道)を体験してみませんか?

古田織部顕彰会
古田織部流 正伝会
古田織部流茶湯研究会
会 長 : 宮下帯刀玄覇 ※帯刀(たてわき)

会長 宮下帯刀玄覇

会長論文・コラム一覧(古田織部関係)
(出版年月 論文名 著書名 出版社名 の順)
2012年 6月 「最初の版行茶書は『古織伝』」 『茶書研究』創刊号 茶書研究会
2014年11月 (対談・伊東潤)「古田織部『へうげもの』を創った俊傑」 『歴史通』11月号 ワック
2014年12月 「古田織部に関する誤伝と道統」 『古田織部四百年忌図録』 宮帯出版社
2014年12月 「唯一の織部流数寄者 岡崎淵冲」 『古田織部四百年忌図録』 宮帯出版社
2015年11月 「尾張出身の武将茶人・古田織部の実像」 『没後四百年 古田織部展』 宮帯出版社
2015年 6月 (対談・小和田哲男)「古田織部「へうげもの」の世界を愉しむ」『歴史人』2015年7月号 KKベストセラーズ
2016年 9月 (歴史のヒーロー・ヒロイン)「古田織部」 『本郷』No.125 吉川弘文館
2016年11月 (戦国武将の信仰と神仏)「戦国武将と茶の湯-古田織部を中心に」『大法輪』平成28年11月号 大法輪閣
2016年12月 「古田織部の出自と子供たち」 『豊後『古田家譜』‐古田織部の記録-〈改訂版〉』 古田織部美術館
2017年11月 「「へうげもの」古田織部の真実」 『歴史人』2017年12月号 KKベストセラーズ
2020年 1月 「古田織部と「織部茶会」」『嘘八百 京町ロワイヤル』 東宝 映像事業部
2020年 8月 「土風炉切形 控」『茶書研究』第9号 茶書研究会
2020年12月 付章「傾き武将茶人 織田道八」『天下一のかぶき者 織田左門』柏木輝久著 宮帯出版社


茶道古田織部流の特徴

※当流では、一般的な「点前」は「手前」、茶を「点てる」は「立てる」、「茶の湯」は「茶湯」と表記します。

1.清潔で衛生的な手前です

当流では、濃茶の飲みまわしの時、客の人数に応じて三方、四方それぞれの箇所から飲むことになっています。また、当流で立てる濃茶は他流よりも濃く粘り気も強いため、前の客の唾液が混ざりあうことはありません。現在はコロナ禍のため各服立て(一人一碗)にしていますが、古来の作法がもともと衛生的なのでしょう。畳にふれた手のひらで手前をするのを避けるため、手前の際の礼は指先だけを畳に触れる指建礼(しけんれい)で行いますし、茶巾で茶碗の縁を拭くのは、表面ではなく裏面で行います。茶道に限らず、日本の芸道の基本動作になっている摺り足は、当流の場合、ほこりを立てないようにする配慮と考えています。
2.武家茶道らしく見栄えを重視します
織部好みの道具は激しい歪(ゆが)みや箆目(へらめ)、強烈な絵付けなど、視覚的なインパクトがあります。窓の多い茶室は開放感とともに、道具をはっきりと見せようとする意図が感じられます。手前に関しても外見的な見栄えを意識した所作があります。茶入の拝見の時、牙蓋(げぶた)に"窠(す)"(虫喰いのような細いくぼみ)がある場合は、あえて客に向けるようにするのはその表れでしょう。逆に「表裏(ひょうり)さばき」という帛紗(ふくさ)の所作では、茶が付く面は裏側に向けて腰につけ、目に触れないようにします。また、風炉の時期(5月~10月ごろ)には、広間でも炉縁が木地(それ以外は塗)となります。木地にするのは、窓からほこりが吹き込んでも目立たない、という配慮と考えられています。
3.所作は一回で完結させます
呈茶のあと茶杓に付いた茶を帛紗で拭いますが、それをはたくのは一回のみで行います。薄茶入(棗・中次など)から抹茶を茶杓ですくう所作も一回、濃茶を立てる時の湯も基本一回で注ぎます。やり直しをせず所作を一回で行うのは、当流が武家茶道であることに由来します。一回でやりきる、ある種の緊張感を伴う手前と言えるでしょう。
4.音を立て、音の変化を楽しみます
当流は炭が大きくて火力が強く、湯が沸き立つ音が大きくなります。また、柄杓(ひしゃく)で湯・水を汲む時や引き上げる時は、わざと音を立てます。水指の水を釜にさす中水(なかみず)も数回あり、竹や金物の音など、静寂のなかにいろいろな音が楽しめます。他流ではあえて音を立てないようにする所作が多い中、当流の特徴のひとつになっています。
5.畳を濡らさないよう配慮します
当流で5種ある柄杓の扱いのひとつ「切柄杓(きりびしゃく)」は、他流の一般的なものとは異なり、水気を切る(飛ばす)所作となります。意外なことに畳に湯・水が落ちることが少ないのは、畳にポタっと垂れにくくする「表面張力」(液体の表面が収縮する力)を織部は知っていたのでしょう。また、畳に水滴を落とさないための「折茶筅(おれぢゃせん)」という所作もあり、土物の水指を使用した際、畳まで染み出した水は最後に拭きとって手前を終了します。
6. 道具組や手前の「真」「行」「草」が明確に分かれています
薄茶は「草」である、と織部の師・利休より伝わっていますので、当流では茶を立てる時、丁寧になりすぎないように、茶碗への左手の添え手はしません。ただし、それでは全体のバランスが悪くなるとの流祖の配慮で、茶巾や柄杓の扱いは「草」の濃茶より上の「行」となっており、丁寧になります。織部流系の他流では、濃茶・薄茶の手前と茶巾・柄杓の扱いが混同され、両方とも「行」または両方とも「草」になってしまっています。
7. おいしいお茶を立てることを第一義とします
薄茶を立てる際、お茶本来の風味を損なわないようにするため無理して泡立てることはしません。分量も他流と比べてやや少なめです。盛夏において、熱すぎてなかなか飲めない事態を避けるため、お湯を入れた後に水を足してちょうど良い湯加減にします。一方、濃茶は素早く濃くて熱いお茶を立てます。
8. 古の書物に書いてあるままの自然で合理的な手前です
当流の手前は400年前のものですが、本来、素直で合理的なものです。多少、武(ぶ)張ったところはありますが、武家茶道の他流によくある、江戸時代に複雑化した手品みたいなものではありません。当時の書物を紐解くと、現在では意味がわからなくなった所作や形なども解明できます。例えば、茶入の仕覆のつがり糸の結びは蜻蛉形なのであり、日中(通常)は「出蜻蛉(でとんぼ)」なのです。
9. 織部が定めた寸法の道具で実践します
当流では、流祖・古田織部が定めた寸法の道具、道具組で400年前の茶湯を実践しています。道具のサイズは総体的に大きめです。なお、流祖古田織部の道具組は独特な美意識に基づくもので、茶会では同じ焼き物を重ねて用いるという特徴があります。
10. 早期習得を目指します
当流では、薄茶 → 濃茶 → 炭手前 → 茶事作法 →弟子を取れる権利「庵号授与」という稽古の流れで、古田織部の茶湯を習得していきます。希望する門人には動画(DVD)を提供し、早期に習得することを目指しています。ご存知の通り、他流の多くは動画撮影やメモも禁止、「稽古は頭で覚えるもの」という風潮がありますが、そうしたことについて当会は疑問を感じています。門人の「古田織部流を修得したい」という思いに対し、必要以上に時間を引き延ばし、稽古代の負担を増やしてしまうことは本意ではありません。意欲の高い方には出し惜しみせず、次々に覚えていただきたいと考えています。
11. 本格的に茶湯が学べる環境を提供します
当流本部(京都の太閤山荘)には、織部の弟子である小堀遠州が建てた茶室「擁翠亭」(外路地・内路地を備えた江戸時代初期の歴史的茶室)や、織部の京屋敷の広間を再現した「鎖の間」などもあり、本格的に織部の茶湯を学ぶことができます。美術館の茶道具コレクションと相まって非常に恵まれた環境で、織部の茶湯を極めていただきたいと考えています。


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